悪さは拒絶するべきなのか?

     

 

今日は少し、裏と表の話をします。

物の見方の話なんですけど、例えば、私たちって小さい時から「いい人間」になるよう教育されるじゃないですか。

道徳的に素晴らしい人間になれと。

そっちに行け行けって言われるわけですが、反対側はどうなってるのか知らずに、もう一方を選択するってできないと思うんですよ。

そう考えると、善行は促されるので多少知っているけれど、悪行は避けているし、してしまうと罪悪感でうまく客観視できないなと。

ここ数年感じていたことです。

例えば、私の夫はたまに、心根の悪い人見てふって笑うことがあるんです。

悪さについて、よく分かってるので、理解に至ると笑うときがあるんですよね。

悪さについて、なんというか、受け止め力に余裕があるんです。

夫の場合は悪さだけじゃなくて、物事全般を動じず客観視する力がとても強いんですけど、一般常識から外れた物事の受け止め力は秀逸で、いつも側で観察しながら視点を盗んでいます。

 

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夫を見ていて、私は悪についてよく知らないなって思ったんですよね。全然、何が起きてるのかわからなかったんです。

ただ遠ざけようとしているだけで、それもなんとなく。情報が不足していました。

夫が悪さを見て笑ってる時、あるいはちょっと悪いこと言って笑ってる時、同じ目線で悪を眺めてみると、拒絶は理解を阻むものだと気がつくことができます。

そうして私は闇雲に遠ざけていた悪の正体をぼんやりと掴み、むやみに情報をシャットアウトすることがなくなっていきました。

悪いことはしませんが、実像を把握することで、初めて能動的に選択することができ、しかもその選択の中身が濃いので、未来に対して力を持つ選択ができます。

今日は善悪の話を書きましたが、善悪だけでなく、無意識に自分が拒絶している世界に気がつけると、選択しているようで押し付けられていた価値観に気がつくことができます。

心を自分だけにしていく作業は、発想を自由にし、選択に力を持たせ、未来を選び取る力を育てる気がしています。

これは問題に巻き込まれない力と、巻き込まれても動じない力もつけてくれる思考法の1つだと思っています。

 

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